日常的な会話を通して磨く表現力、幼児期の読み聞かせから息抜きの読書に至るまで、日々本と親しむことでつく読解力、手紙のやり取りを通してつく文章力……と、国語力養成において、家庭の果たす役割はとても大きいと思います。むしろ、学校の「国語」の授業よりも国語力をつけられるのが家庭という場だ、ということを、親はもっと認識するべきだと思います。では、どうすればより高い国語力を子どもにつけることができるでしょう。その具体的な方法ですが、これは「子どもにつきあう」ことが基本となります。子どもが小さい頃だったら、おしゃべりにつきあってやることは大切です。つたない表現だろうがなんだろうが「ふんふん」「それで?」「○○はどうだったの?」など、適切なあいづちや質問をはさみながら、できるだけ長くおしゃべりが続くように工夫すると、子どもの表現力はさらに磨かれていきます。
目力とは、目元用の化粧品を駆使することで実現した「目元の主張」「目元のインパクト」のこと。『CREA』(文藝春秋)99年10月号には、「深田恭子の「目力」がすごい」という記事が出ている。彼女の目のパワーに注目した内容で、特にメイクアップ術に触れているわけではないが、女性誌で「目力」という言葉を使用した記事は、恐らくこれが最初だろう。2000年には『non−no』(集英社)5月5日号に次のような記事が登場した。「教えて!街で輝く「目力美人」30人の「アイメイク」」街を歩く化粧美人に声をかけ、メイクの秘訣や使っているアイテムを聞く手法は女性誌の定番だが、同誌は「目力」にフォーカスして8ページもの特集を組み、これ以後、同じような「目力」特集が女性誌に氾濫するのである。それまでも女性誌では、マスカラを含め目元の化粧の重要性に着目した特集を数多く展開してきた。「まつげ美人」「お人形まつげ」などなど、マスカラの威力を各誌思い思いに表現していた。だが、インパクトでは圧倒的に目力が上だ。目と力を合わせて、目力。漢字二文字のシンプルな組み合わせゆえにその意味するところはなんともわかりやすい。
死亡の通知をしなくてはならない、などの諸々の雑務があるか、何よりも最初には「座る」動作があった。座って死者と遺族がゆっくりと相対する。枕経とはそういう時間だと思う。枕経の習慣が薄れることを私は危機的だと感じる。まず遺族か死者に相対することその時間は大切にされなければならない。これはキリスト教でも同じであり、牧師(神父)は臨終のとき立ち会う。現代でも病院などの医療機関に出向く。自宅に安置した後も、遺族とともに祈るという行為をする。枕経をあげにやってくる僧侶(宗教者)は、遺族にとっては「傍らに立つ第三者」であり、自分たちの悲しみ、傷みを理解し和らげてくれる存在でもある。枕経が終わると、葬儀の手順をどうしたらいいかという打ち合わせに入る。