H社長のやり方は、万事がこういうふうである。常識にとらわれない、常識外の発想法である。Hさんが中古市場に関わったのは七〇年代初め。大阪万博が開かれ、日本列島改造論が叫ばれた頃で、古美術店に入って一年間修業した後、一旦は他業種の仕事に就いたが、三十歳ぐらいの時に独立して古道具屋を開業。リサイクルショップなどという呼び名は、もちろんそれまでなかったわけで、これはHさんが最初に名付けたものという。だいいち、昔は不要品として捨てるなどということがなく使えるだけ使っていたので、古道具屋自体もあまりなかったのである。最初に出しだのは、十五坪ほどの東京・町田の店。これがあたって増床に増床をくり返し、最終的には六百坪まで拡張する。そして、いまでは大和市や東京都下、横浜などの七拠点すべてが数百坪の売場面積を持つグループ会社に育て上げ、従業員五十名(うちパート三十名)、年間およそ六億円強を売り上げるまでに急成長してきた。これはどの規模の店だから、商品の仕入れも並大抵の苦労ではない。